札幌散策

すすきのって正確にはどこのこと?

札幌の歓楽街、すすきのの様子です。たくさんのネオンサインの下、車がたくさん走っています。

すすきのと言えば北海道最大の歓楽街ですが、札幌市中央区の地図のどこを探してもすすきのという地名はありません。

 

それは、「すすきの」がこの歓楽街の通称のようなものだからです。

 

地下鉄や市電の「すすきの駅」や「すすきの交番」はあるのに、「すすきの○丁目」というような住所が存在しないのは不思議ですね。

 

住所は存在しなくても、「ここからここまでがすすきのです」というような明確な範囲はあるのでしょうか?

 

札幌市民にとってのすすきのの範囲

札幌に長く住んでいる人であれば、何となくあそこからあそこがすすきのかな?というような境界線があるかもしれません。

 

私は、南北が南4条通り(国道36号線)~南7条通り、東西が西2丁目~西6丁目ぐらいの範囲がすすきのなのかな、と漠然と思っていました。

 

やはりその範囲に、居酒屋やバーや風俗営業店などが無数に入居するビルが立ち並んでいますので、この地区を行き来する間に、私の中で大体この辺がすすきのだなというイメージができたのだと思います。

 

すすきの観光協会のすすきのマップ

ところで、すすきの観光協会のホームページを見ると、すすきのMAPというPDFで2ページの地図をダウンロードすることができます。

 

その地図がこちらです。

 

すすきの観光協会が公開しているすすきのMAPです。出典:http://www.susukino-ta.jp

 

すすきの観光協会が公開しているすすきのMAPです。出典:http://www.susukino-ta.jp

 

この地図を見ると、南北が狸小路~南9条通り、東西が西1丁目~西6丁目が、すすきのの範囲として掲載されていますね。

 

私のイメージよりもかなり広めでした。

 

この範囲は、すすきの交番の管轄範囲とほぼ重なるそうです。

 

明治期のすすきの

そもそもこの地区がすすきのと呼ばれるようになったのは、明治の初期からです。

 

北海道の開拓のために、本州からたくさんの労働者が札幌にやって来ましたが、彼らの多くは地元に妻子を残しての単身赴任でした。

 

北海道の開発を担った当時の札幌開拓使という官庁は、そういった出稼ぎ労働者たちに、できるだけ長く札幌にいて働いてほしいと考えていました。

 

それで公営の遊郭を設けたわけです。

 

明治5年(1872年)に、薄井龍之(うすいたつゆき)という札幌開拓使の役人が工事監事となって、現在の南4条と5条、西3丁目と4丁目の範囲を区画して、「薄野遊郭」を建設したということです。

 

明治5年に建設されたすすきの遊郭の地図です。出典:http://www.susukino-ta.jp

 

現在の地図に当てはめると・・・

 

明治期のすすきの遊郭を現在の地図にあてはめた図です。

 

当時この範囲は、高さ約1,2メートルの塀でぐるりと囲まれ、西3丁目と4丁目の間には高さ約3メートルの大門があったということです。

 

ですから明治の時代には、すすきのと言えばここ、という明確な範囲があったわけですね。

 

ちなみに、すすきのという名称は、工事監事の薄井龍之の名前にから一文字をとって、薄井の上司である岩村通俊(いわむらみちとし)という人が命名したというのが通説になっています。

 

私はずっと、すすきのの周辺がかつてはススキの群生地だったので、すすきのと呼ばれるようになったのだと思っていましたが、そうではなかったのですね。